-----------------------------------------------------------「意地っ張り娘(爆)」
意地っ張り娘(爆)
「・・・いい加減、機嫌を直したらどうだ?」
前方を走る車のテールランプを眺めながら、氷室は助手席の恋人を窘める。
つい半日前に、自分の元を巣立ったお気に入りの女生徒は
今はかけがえのない、大切な女性となった。
が、初めてのデート(社会見学は何度もしたが)で既に雲行きが怪しくなっていた。―先生は、いつまで私を生徒扱いするつもりですか?
この台詞を最後に、冴(さえ)は一言も口を開く気配はない。
氷室とて、そんなつもりはなかった。
ただ・・・彼なりに緊張していて、それを悟られないように、今までどおりの接し方をしていただけだった。ずっと思い続けていた彼女を手中に収めて、単純に有頂天になれるほど、氷室は幼くはない。
それが皮肉にも、冴を不安にさせている。
「・・・君は。」
氷室が声を掛けても、冴は一向に窓の外から視線を外さない。
「押木・・・。」
その呼称が、冴を更に苛立たせた。
それは、”教師 氷室零一”が自分を呼ぶ名前。―あれは、幻だったのかもしれない。
教会での告白がまるで夢のように思えている冴は、
その些細なことにすら不安を煽られる。嫌味を込めて冴が溜息をつくと、氷室の愛車が急にスピードを上げた。
前に一度、暴走車を注意する為にこんな荒い運転をした事が有ったが、
今はそんな車はない。
驚いた冴が、氷室に視線を投げる。
「君を生徒扱いしているつもりはない。」
氷室は前を向いたまま、強めの口調で冴に言い聞かせる。
半ば脅しに近いような口調に、冴の反抗心がフツフツと湧き上がった。
「・・・証拠、見せてください。」
氷室は眉間に深い皺を寄せると、更にアクセルを踏み込んだ。「入りなさい。」
初めて招き入れられた、氷室の部屋。
緊張しながら、そっと靴を脱ぐ。
「適当に掛けたまえ。」
氷室は冴にそういうと、キッチンへと姿を消した。
リビングのソファーに腰を下ろすと、冴はまた一つ溜息をつく。
これは嫌味も何も無い。自分に対しての、呆れから出た。
どうして素直に言えないんだろう。と冴は悔いる。
自分が一言、名前で呼んで欲しい、と望んでいる事をストレートに言えれば
こんな気持ちにはならないで済んでいた。
少しだけ涙目になりながら、テーブルの上に置かれているガラスの筆立てを眺める。
「コーヒーでいいか?」
冴が黙って頷くと、氷室は向かいに腰を下ろした。
「・・・コホン・・・さ、冴。」
どもりながらも名前を呼ばれて、冴は思わず顔を上げた。
案の定氷室の顔は、見事なまでに赤く染まっている。
ジッと見入る冴の視線に、氷室の緊張は更に高まった。
緊張に耐えかね氷室は立ち上がると、冴の横に腰を下ろす。
「・・・冴。どうすれば君の疑いが晴れる?」
正直な所、生徒で無くなってから早速と言わんばかりに冴に触れる事を、氷室は良しとしないでいた。
しかし彼も男であり、彼女への想いを抑え込んでいた反動という物もある。
理性と欲求が激しくぶつかり合い、彼を揺らす。
ずっと触れたいと願っていた冴との距離は、僅か数センチ。
彼の感情が激しく欲望の方向へ振れ、冴を抱きしめようとした瞬間に、キッチンから妨害が入った。湯が沸いた事を知らせるケトルの音に、冴も驚いて心臓が破裂しそうになっていた。
氷室の呼吸を、すぐ傍で感じた。
それ以上にこんな自分に対して、氷室が精一杯歩み寄ろうとしてくれている事に、胸が苦しい。
いい香りのする湯気の上がるカップを持って、氷室が再びリビングへ戻ってきた。
「・・・先生。」
再び向かいに座ろうとする氷室を、冴は首を横に振って制止した。
そして無言で、自分の横の椅子を軽く叩く。
氷室は困った笑みを浮かべながら、再び冴の横に腰を下ろした。
「君の先生の役は、今日の午前で終わった。」
コーヒーを一口啜ると、氷室は静かに呟いた。
「・・・れ、零一さん。」
氷室同様、冴もまた名前を呼ぶことに照れる。
そのはにかんだ表情に、氷室の手は冴の肩に伸び、そっと抱き寄せた。
冴の額に、氷室は軽く唇を押し当てる。
顔が、触れられた額が熱くなるのを感じた。
たかがその位で過敏なまでに反応する自分を隠したくて、
冴は少し身体をよじり氷室から離れた。
それは冴のささやかな背伸び。
氷室に少しでも追いつきたいと思うが故の行動だった。
「・・・?」
「零一さんのお部屋って、殺風景ですねぇ。」
いきなり立ち上がると、冴は辺りを見回して、素っ頓狂な事を言い出した。
確かにこの部屋は綺麗に片付いているが、何処か冷ややかな感じが否めない。
「・・・男の一人暮らしだ。こんなものなのではないか?」
何故冴がいきなりこんな事を言い出すのか、氷室には解らなかった。
額へのキスが、イヤだったわけではない。
ただ、照れくさかっただけなのだが・・・氷室にそんな事は解るはずも無い。
「・・・証拠を見せろと、君は言ったな。」
言葉の端に見える苛立ちに、冴の身体が強張る。
氷室は立ち上がると、冴を背後から抱きしめた。
「せんせ・・・。」
「君は・・・何時まで俺を教師扱いするつもりだ?」
耳元での囁きに、冴の背中をむず痒い感覚が走る。
それは決して、不快なものではなかった。氷室の唇が、冴の首筋にそっと触れる。
「・・・こ、コーヒーが冷めちゃう。」
絡みつく腕の支配を逃れようと、冴は少し腕に力を込める。
「そんな事はどうでもいい。」
それ以上の力で、氷室は冴を抱きすくめる。
張り詰めた室内の空気が、重い。静けさが、耳に痛い。
「それとも・・・君は無理して俺に付き合っているのか?」
そんな空気を破る氷室の言葉は、鋭利な刃物に近かった。
冴は慌てて、首を横に振る。
氷室は軽く息を吐くと、冴を絡め取る腕の力を弱めた。
「・・・済まない。少し感情的になりすぎた。」
そっと冴から身を離すと、氷室は少しでも落ち着こうと窓際に歩み寄り、外を眺めた。
冴の言葉に冷静さを見失い、性急しすぎたと氷室は悔いた。
折角この手に心置きなく抱きしめられるようになった冴を、失いたくない。
「支度をしなさい。・・・送って行こう。」
間近で感じた温もりが消え、冴は急に淋しくなった。
「・・・違うの、先生。私・・・。」
冴は氷室の方へ駆け寄ると、氷室の背に顔を埋めた。
氷室は驚きながらも、腰に回された手にそっと掌を重ねる。
「ちょっと・・・照れくさくて。でも本当は嬉しいのっ。」
顔を埋めたままではあったが、精一杯の冴の言葉に、氷室の口元は嬉しさで緩んだ。
華奢な氷室に抱きかかえられた事も冴には驚きだったが、
氷室の寝室のベットの大きさにも、冴は不謹慎ながらも驚いた。
「・・・大きいベットですね。」
自分にのしかかってくる緊張から逃れようと、冴はつい冗談めかしい事を口にしてしまう。
そんな冴の悪い癖に慣れ始めた氷室は、無言で冴をベットに横たわらせる。
そして冴の手を掴むと、自分の胸元へ導く。
「・・・緊張は、俺も同じだ。」
掌に伝わってくる鼓動は、冴のそれと同じ位に早い。
「・・・ぷ。」
自分が無理矢理背伸びをしようとして素直になれなかった事が、急におかしくなって噴き出した。
歳の差だとか慣れ不慣れ。そんなもの、こういう気持ちには関係ないのだ。
「・・・何がおかしい。」
軽く頬を染めた氷室の表情が、拗ねている。
その顔にまた噴き出しそうになるのを堪えていると、瞼に口付けが降ってきた。
「からかうな。」
「・・・違います。からかってないです。」
手をパタパタ動かしながら、冴は必死で否定する。
虚を突くように身に纏う衣服をするりと抜かれ、冴は慌てて曝け出た肌を手で隠す。
部屋が薄暗いとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
少しでも、氷室の視界を制限したい。
「眼鏡・・・取って下さい。」
冴の申し出に、氷室は黙って眼鏡を外しサイドボードの上に置く。
そして自らの衣服を脱ぎ去ると、全身で冴の温度に触れようと強く抱きしめた。冴は氷室の指先に翻弄され、なすがままになっていた。
無音の空間に響く艶かしい音は、冴の身体の昂ぶりに比例して激しくなる。
氷室が冴の身体に触れる場所が増えるほど、虚脱と緊張が交互に襲ってくる。
そのうねりに甘い声を洩らせば、氷室は更にその上へと冴を導く。
シーツはやがて肌蹴てゆく。しかし冴は寒さを感じなかった。
氷室の熱が、冴の熱を呼び覚まして互いを温めあう。
ゆっくりと氷室が冴を押し開き、その身を沈めた。
冴は喪失の痛みで、目をきつく閉じる。
「・・・先生。」
冴は視覚で確かめられない相手を、触覚と聴覚で捉えようとする。
宙を彷徨う手を、氷室はきつく握り締めた。
安堵の表情に、軽く甘美の表情が混ざる。
「・・・大丈夫か?」
冴の小さな頷きに、氷室もまた安堵の笑みを浮かべた。
緊張が緩んだ冴の身体は、氷室を更に奥へと招き入れる。
最奥を貪られ、冴の意識は、か細い鳴き声と共に白んでいった。
規則的な寝息が、冴の耳を擽る。
うっすらと白む外の明かりの眩しさに、ふと瞼を上げると、間近に氷室の寝顔が有った。
しっかりと結ばれた薄い唇に軽く口付けると、冴に絡みつく腕に力が籠もりきつく抱き寄せる。
「ぷ・・・。」
可愛い寝顔に吹き出すと、冴は再び目を閉じた。